そのペンダントのことは、たったふたりだけの、僕らの秘密だった。

それは海辺で僕らに捕らえられた瓶詰めの思い出の一つ。

それを見つけた海が空に掛けてくれたのは銀の十字架で、

それにお返しで空が海に掛けてあげたのは鉄の十字架で、

それでお揃いが増えたことを2人で喜んで笑いあった。

それからは肌身離さず、2人でいる時は互いに見せ合っていたのを憶えている。

1人でいるときは、飽きもせず胸元のそれをなで続けた。

時には交換し、返ってきたそれの裏側に、互いの名前が刻んであるのを見たときには、相手の想いの、絆の強さに泣きそうにもなった。

そして、

2人の指の先で、

日の光に強く輝くのを、

月の光に淡く光るのを、

いつまでも、ただただ眺めていた。

あの暑くて、どこか厳かだった夏の日々。

それが、たったふたりの僕らの、一番の秘密だった。



                             『十字架』



僕の表向きの目的は墓参りだ。

親にもそう伝えてある。

言わなくても、別に良かった。

あの町を離れてから、家族としての役割を果たすだけとなった僕から2人に、何を伝えようとも、何を言おうとも、それは2人にとって何の価値もないのだろうから。

それに、中学を出てからずっと、学校の近くにアパートを借りて独り暮らしをしてきた僕が、今更どこに出掛けようが、参観日にすらこない2人に、判るわけもないのだ。

それでも、海に関することは、2人にも伝えておかないと。
どういう訳か、そんな気になった。

そして、
普段使うこともない携帯から家にコールして、
その電話口に母親が出た瞬間、激しく後悔した。

その後は、早く会話を終わらせたい、そんな思いでいっぱいだった。

適当な挨拶をして、
適当な近況報告をして、
適当な接続詞を継いで、
海の墓参りに行く、と言い放った。
息継ぎしなかったような気もする。

そして、電話越しに伝えられたそれに対し母親は、そう、と、ただそれだけを返して、返事を聞くこともなく、よどみない感じで電話を切った。
本当に、それだけだった。

そんな、数年ぶりの会話を終えて、残ったのは罪悪感。

別に嘘をついた訳じゃない。
ひとりで勝手に色々やってはいたけれど、それを悪いと思ったことはなかった。
こんなに身勝手な人間の集まりなんて、家族とは呼ばないだろうけれど、
たまたま自分の家がそうだったに過ぎないのだ。
別に苦しかったわけでもない。

なのに、何だか、悪いことをするような、そんな気分になったのは何故だろう。

考えるまでもない。

海のお墓なんて、あの町には、ないからだ。



あの夏、
海辺で人の残骸を集めるのに没頭していた夏の日、
海との間に、思いも寄らないあんなことがあった次の日、
海は家から飛び出した。

そして、その日に海は、僕にくれたもの、僕のあげたもの、そのすべてを残して、たった独りでいなくなってしまった。

探した。
みんなで探した。
その誰よりも僕が探した。
探して探して探して探して探して探して探して探して探して叫んで探して、
見つかったのは、浜辺に打ち上げられていた海のサンダルの片割れだけ。

この町にある海のお墓が出来たのは、いなくなってから数年後、海が帰ってこない事に気づいた僕が町を出て暫くしてのことだった。

海のお母さんは、そのサンダルと、その日の朝まで海が眠っていたおふとんと、玄関に置いてあった麦わら帽子を、海のお墓に埋めて泣いていた。
みんなが黒づくめだったことよりも、その光景が目に焼き付いている。

だから、海が眠るお墓は、どこにもない。

いや、この言い方は、たぶん、正しくない。

みんなが作った海のお墓は、確かに海のお墓なのだろう。

でも、そこかしこに海の姿が漂っていた町に、

そんな特別な場所は無意味なのだ。

だって、海の残した物はすべて、

海の抜け殻で、墓標なのだから。

そして、そんな墓標だらけの、この町に僕は、再び降り立った。



二度と来ない、と、そう思った。

実際、今日まで来なかったし、来られなかった。

みんなが作った海のお墓を見て、海の抜け殻で埋め尽くされた町を見て、ここには海の過去しかないことに絶望した僕は、まだ少年ですらなかったけれど、確かにそう誓った。

それなのに、僕は、今、あの夏に海と、2人の両親の乗る列車を見送っていた駅のホームに、まるでかかしのように立っている。

僕の後ろを遠ざかっていく列車は、明日にならないとやってこない。
僕と入れ替わりに乗っていった労働者や学生達の数が、この数年で減ったように思えるのは感傷、なんだろうか。

駅には僕一人。
向こうに連絡は入れたはずだから、ただ単に、出迎える暇がないのだろう。
僕も、出迎えるようには、言っていないはずだし。

足下の荷物は、海の家で暮らすのならば充分な量。
年頃の僕が抱えられない重さじゃない。
右肩に背負い込む形で持ち上げる。
背中の汗が気持ち悪い。
急な付加に軋んだ背骨を伸ばした。

耳を澄ます。
満ちては引く潮の音が、この町を支配する。
この音を聞きながら、人は生まれ、育ち、死んでいく。
ここは、そんな町なのだ。

視線を上げる。
日差しは鋭く、暑さにはだけた胸元を照りつける。

空いた手で首筋をぬぐう。
そこでは、錆び付いて朱く染まった海の十字架と、変わらない光沢を放つ銀白の空の十字架が、同じチェーンで結ばれて、動くたびに音を立てている。



海がいなくなって、十年が過ぎようとしていた。

そんな夏の暑い日に、歳を重ねた僕は再び降り立った。





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